堺五月鯉幟は、明治初期、和凧職人に紙鯉を作らせたことに始まります。
そもそも江戸では、江戸時代初期から男の子の誕生と成長を願い、武家では家紋を染めた幟を家の表に飾りました。
その鯉を和紙で立体化したのが鯉幟のルーツです。和紙では耐久性が悪いため、明治中期になり広幅の綿布の入手が可能になると綿布の鯉幟を作り始めました。当時は、綿布の白度を上げ、脂気を除くため、堺の伝統産業のひとつである和晒の製法技術を参考にしました。
明治時代末に、真鯉の背に金太郎を乗せた図柄を考案。数十種類の刷毛と筆を使い手描きしています。裁断されたまっ白な綿布にまず描くのは目。アタリをつけて一気にひげ、うろこを描く。選りすぐりの七色の顔料を使い、色をつけていきます。胴が太く尾びれがキュッとしまった立体的な構造で、まさに、鯉の形をした鯉幟。胸びれ、尻びれが大きく、風を含んで悠々と空を泳ぎます。
いつの時代であっても、子どもが強くたくましく育ってほしいという親の願いを込めて金太郎を描き続けています。手描き独特の味と風合いが、時を経た今も変わらず守られています。