堺緞通と敷物
堺の敷物産業のルーツは、天保2年(1831年)に、真田紐を製造していた糸物商・藤本庄左衛門が、中国緞通、鍋島緞通を参考にして製造した「堺緞通」といわれています。
明治10年(1877年)に、庄左衛門の孫である荘太郎が、第1回内国勧業博覧会に堺緞通を出品して全国的に有名になりました。
ちなみに、天保年間には、わずか120畳の生産量でしたが、明治28年(1895年)には、891,225畳に伸びて、その後は、大阪府の輸出額トップを占めて外貨獲得に大きな役割を果たしました。
品種についても、ラグ・ラッグ・ヤーン・ラッグ、フックド・ラッグなどラッグ類が、大正から昭和のはじめにかけて主流となり、昭和30年頃からは、チューブマット、ウィルトンカーペット、タフテッドカーペットに主力が移るようになり、「敷物王国」と呼ばれるほどになりました。
現在は、新素材の開発、自動化、コンピュータ化により、多様なニーズにあわせて、多種多様な製品が生まれています。