コンブロードと堺の昆布
堺に昆布加工業が発達したのは、北海道でとれた昆布の運搬ルートとかかわりが深いといわれています。
この「コンブロード」といわれたルートは、波がおだやかな日本海沿岸によって、北海道から、敦賀、小浜さらには下関を経由して、大阪、堺に船で運搬した航路のことです。
もともとは、敦賀、小浜に入港し、陸路で大津を経て、淀川を下って大阪に運ばれていましたが、江戸時代の中頃(17世紀)には、大阪、堺までの航路が開かれ、堺港に大量の昆布が陸揚げされるようになりました。
この時期に、堺の昆布加工業も本格的に発達したといわれています。
特に、大正から昭和のはじめにかけてピークになり、約150軒の昆布加工業者が集まった一大産地となりました。
堺の昆布は、「とろろ」と「おぼろ」の加工が中心で、とろろ昆布は機械生産されますが、おぼろ昆布は高品質を保つために、熟練した職人によって手づくりで加工されています。